
笑い飯 哲夫さんインタビュー
「苦しさや悩みは口に出してしまえばいい。案外、みんな同じ思いのはず。“自分だけ”が苦しみのもとなんです。」(前編)
インタビュー:松本 守永
撮影:村上 佳奈子
「諦める」とは「明らかにする」こと。本当の自分を認めることで、進むべき道が見えてくる。
M-1グランプリや上方漫才大賞など、数々の賞レースを制した実力派お笑いコンビ「笑い飯」の哲夫さん。芸能界きっての仏教通としても知られており、執筆や講演など、お笑いだけにとどまらない幅広い活動を行っています。仏教の教えを交えながら、受験や人生との向き合い方についてお聞きしました。

笑い飯 哲夫さん
1974年奈良県生まれ。奈良県立奈良高校、関西学院大学文学部哲学科卒業。大学で教員をめざした時期もあったが、高校時代からなりたかった芸人の道へ。2000年に同じ奈良県出身の西田幸治さんと「笑い飯」を結成。2010年、漫才芸人のコンテスト「M-1グランプリ」優勝。2014年「上方漫才大賞」受賞。著書に『えてこでもわかる 笑い飯哲夫・訳 般若心経』『えてこでもわかる 笑い飯哲夫・訳 般若心経 写経帖』(ともにヨシモトブックス)、『ブッダも笑う仏教のはなし』(サンマーク出版)、『ザ 煩悩』(KADOKAWA)など。
サッカー部では3年間補欠。そのおかげで芸人になれたかも
—— 哲夫さんはどのような高校時代を過ごしていたのですか?
哲夫さん(以下
哲夫):僕は小学生の頃からサッカーをしていました。進学先の県立奈良高校はサッカースタイルがすごくかっこよくて、「この学校でサッカーをしたい」という思いがあったんです。それに、県内で偏差値トップの公立高校だったこともあり、「勉強中心の高校やから、そんなにうまいヤツは入ってこないはず。俺でもレギュラーになれる!」という読みもありました。ところが入学してみると、頭も良いうえにサッカーも上手な人だらけ。結局、3年間補欠でした。
でも部活はすごく楽しかったですよ。毎日帰り道で、大喜利大会をしていました。もちろん僕は、しっかりと笑いを取っていた。「サッカーは補欠やけど、笑いはレギュラーや」とよく言っていたものです。このときの経験が、芸人になることを後押ししたのかもしれません。そう考えたら、サッカーでレギュラーになれなかったからこそ、芸人になれたって言えるかもしれませんね。

—— 高校を卒業後は浪人を経て大学へ進学されました。
哲夫:浪人時代、通っていた河合塾に、芸人の「おかけんた・ゆうた」さんがラジオ番組の収録で来られる機会がありました。直前にそのことを知った僕はあちこちにお願いして、収録に参加させてもらったんです。クイズ番組だったんですが、おかさんからも話を振ってもらって、うまい具合に答えることができました。これが僕の記念すべきデビューです。収録後、おかさんに「弟子にしてください!」とお願いに行きました。そしたら、「大学は行っといたほうがええよ」と言われて、それで大学に行くことにしたんです。
大学時代は、アルバイトばっかりしていましたが、教員免許の取得に向けた勉強も頑張りました。芸人としての活動も大学に進学してから始めました。周りのみんなが就職を考える頃には芸人としての自信もついていて、「この道で行く!」と腹を決めていました。
—— 周囲の同級生たちは就職などで堅実な道を進む人が多かったと思います。芸人をめざすことに不安はなかったのでしょうか。
哲夫:自信があったので、ためらうことはなかったですね。それに僕は、「夢は大きい方がいい」と考えるタイプなんです。大きな夢にたどり着くには、1歩ずつの歩幅も大きくしないとだめですよね。大股でガシガシ進んでいくことに充実感や喜びを感じているのかもしれません。
そういう意味では、「ギリギリが好き」というのも僕っぽい目標へのアプローチの仕方です。僕は今、奈良の実家で農業もしていますが、次の仕事の予定があるときも、時間ギリギリまで畑で作業をしています。ギリギリやから、駅へ歩くのはすごく早足になるし、移動中も頭をフル回転させて次の仕事のことを考えてる。急ぐことが僕にとってパワーになるんです。「時間を無駄なくフルに使っている」っていう感じがするんですね。だから無計画ぐらいがちょうどいいのかも。でもこれはあんまり受験生にはオススメできませんね(笑)。

写経がバレた! 恥ずかしい! それが新しい仕事の出発点
—— キャリアの中で大きな転機となった出来事は何でしょう。
哲夫:1つは2002年のM-1グランプリです。あの大会で3位になって、知名度は全国区になりました。もう1つは仏教好きがバレたことです。
ある番組の収録で、荷物を抜き打ちチェックするという企画がありました。僕のカバンをほかの芸人さんにほじくり返されて、なかから般若心経を写経したノートが出てきたんです。「何やこれ!」「気持ちわるっ!」ってイジられました。
実は僕は、子どもの頃から仏教好きでした。家にお坊さんが来てお経を唱えてくれてるときは、「なんや面白そうなこと言うてはるな~」と思いながら聞いていました。高校時代には先生が、「煩悩の数が108個なんは、四苦八苦(4×9+8×9)やから」と教えてくれて、「なるほどな~」と思っていました。実はこの話、江戸時代にできた小噺であって本当の仏教の教えとは違うのですが、日常のいろいろな言葉が仏教に由来していることなども教えてもらい、ますます仏教好きになっていきました。般若心経を写経していたのは、手を動かしているとネタを考えやすいからです。どうせ動かすなら、般若心経でも書いてみよか、と。
でも、仏教好きであることは隠していました。芸人と仏教って、イメージが合わないですよね。それをテレビで暴露されてしまったんですから、衝撃は大きかったです。でも、しばらくして、ヨシモトブックスの方から「般若心経についての本を書きませんか?」というお話がやって来ました。このときは、「うわ、会社まで俺のことをイジってきた!」って思いました。それと同時に、「もう隠してもしゃーないわ」って、諦めたんです。そんな経緯があって出版した本はありがたいことに好評で、次の本も出すことができました。講演なんかもさせてもらえるようになりました。偉いお坊さんとお話をさせてもらえたり、今こうして受験生の皆さんに向けた記事のインタビューに答えているのも、仏教好きがバレて「しゃーないわ」って諦めたことが始まりなんです。

仏教には、「四諦(したい)」という大事な教えがあります。四諦とは「苦諦(くたい)」「集諦(じったい)」「滅諦(めったい)」「道諦(どうたい)」の4つに分かれます。それぞれがどういう意味でどういう関係になっているかは、僕の著書でわかりやすく説明してあるので、そちらを読んでもらうとして、今日ここでお伝えしたいのは、「諦める」という言葉の意味です。
諦めると言えば、普通は「見込みがないから断念する」という意味だと考えますよね。でも、もともとは、「明らかにする」という意味なんです。何を明らかにするかといえば、真理です。四諦とは、お釈迦さんが明らかにした4つの真理ということなんですね。
話を僕のことに戻しましょう。写経が見つかって、仏教好きがバレました。それまでは隠してたけど、「もうしゃーないわ」と諦めました。これはつまり、「自分は仏教好きである」という真理を明らかにしたという意味でもあるのです。隠しようのない自分を受け入れたという感じですね。そしたら不思議なことに、仏教に関連する仕事が入るようになっていった。
とはいえ最初の頃は、「仏教の仕事とお笑いの仕事が両立できるんやろか」という気持ちもありました。やっぱりイメージの違いが気になっていたんです。ところがあるとき、仏教について執筆したりしゃべったりしているときの僕は、めちゃめちゃおもしろいことが言えてるって気が付いたんです。これも考えてみたらシンプルなことで、「ギャップ」は笑いの大きな要素だからです。イメージが一致しないからこそ、笑いにすることができる。そのことに自分で納得できたとき、「大丈夫や。俺は仏教でやっていける」って思いました。こうやって、かつては「恥ずかしい」と思って隠していたものが、僕の強みや個性になっていったんです。